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いま求められているのは、リベラルの再構築だ。

2014.02.02

 先日もTwitterで書いたのだが、いまの日本は、「専業主婦が家庭で育児するのが日本の伝統的家族観」というような現実の歴史と反する勝手な史観を振り回すオレオレ保守と、反テクノロジー・反経済成長を言い募る懐古主義的な和式リベラルという極端な二つの党派が前景化しているという、非常な奇妙な状況になってしまっている。

 わたしはこの両極端ではなく、その間にいる多くの中間領域の人たちが重要だと考えているし、この人たちこそが次世代の日本を背負う社会的中心層になるのは間違いないとも思っている。より具体的に言えば、経済成長を是とし、そのためのテクノロジーの進化も受容し、そのうえで分配政策を構築しなおして機会平等をこれからも実現していこうというような政治思想だ。政府に何でも頼るのではなく、自分たちであらたなコミュニティのあり方を模索し、若者を非難するのではなく、新世代の彼らが手探りで追いかけている新しい生き方をきちんと支援していく。つまるところリベラリズム(自由主義)の本来の意味に立ち返り、新たなリベラルを再構築していこうということである。

 しかしいまの日本では、こういう領域を代弁する政治家・政治党派が現時点では存在していない。民主党にある時期まで期待していた人たちも、政権の舵取りのみごとな失敗ぶりに絶望して離反してしまった。結局のところ民主党が象徴しているように見えたリベラルというのは、日本独自の左翼思想と伝統回帰、さらにはパターナリズム(父権主義)などがない交ぜになったかなりヘンテコな考え方であり、戦後民主主義が最終的に陥ったタコツボ的な奇妙な思想でしかない。そこには政治思想といえるようなものはなく、「権力vs市民」といったような水戸黄門的勧善懲悪主義の対立軸概念ぐらいしか持っていない。これは2012年に刊行した『「当事者」の時代』(光文社新書)という本でも詳細に書いた。

 だからいま求められているのは、リベラルの再構築だ。これは長期的かつ重要な課題である。

 しかしその観点から考えると、今回の都知事選はかなり悩ましい。とりあえず消去法的な選択肢として、家入一真さんのやっている選挙運動はけっこう面白いとは思う。彼は私の昔からの友人で、私の若い友人たちの多くが彼の選挙運動に参加している。

 家入さんが「オレは政治のことはわからないし、みんなでやろうよ」と周囲に丸投げしてしまっているところは、無責任なように見えて、政治家の専門性や当事者性が欠落してしまっているいまの状況の中では、逆に真摯な姿勢であるようにも感じる。

 とはいえ、彼がうっかり都知事選に勝利してしまったとしたら、とうてい都知事は務まらないと思っている。そういうタイプじゃないし、だいたいそんな重い責任を背負うのは彼はイヤなのではないか。

 だから彼がとうてい当選はしないだろうことを前提としたうえで、非常に限定的な選択として家入さんを推してもいいかなと思っているというのが、現在の判断だ。これは家入さんが都知事になってほしいということではなく、「家入的ななにかを土台にして、これからの政治のあり方を考える」というたたき台として重要かもしれない、という意味である。